平和台球場は福岡市にかつて存在した球場です。
西鉄ライオンズや福岡ダイエーホークス等、数々のプロ野球団が本拠地として構えた球場です。
当記事では、平和台球場の特徴や歴史について解説したうえで、跡地を散策した様子をまとめます。
平和台球場とは?
まずは平和台球場について簡単に解説します。
基本情報
平和台球場の基本情報は以下のとおりです。
球場所在地 | 福岡県福岡市中央区城内1-2(舞鶴公園内) |
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広さ | 両翼約92m、中堅122m |
収容人数 | 約24,000人(開場当初)~最大約34,000人 |
球場運営期間 | 1949年12月開場 ~ 1997年11月閉場(解体1998年) |
プロ野球公式戦開催実績 | 1950年~1992年にかけて多数開催 |
主な本拠地利用球団 | 西鉄ライオンズ※(1950年-1978年) 福岡ダイエーホークス(1989年-1992年) |
※西鉄ライオンズは「西鉄クリッパース→西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ」と球団名が変遷しています。
福岡・九州のプロ野球黎明期を支えた歴史的球場であり、多くの名勝負とドラマを生んだ舞台です。
歴史
平和台球場はかつて2,000試合近くもの試合が開催された、プロ野球にとっては不可欠な球場でした。
開催された一軍試合数 | 1904試合 |
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主な主催球団 | 西鉄ライオンズ、福岡ダイエーホークス |
1950年のセ・リーグ開幕時からプロ野球の舞台となり、西鉄ライオンズの黄金期(中西太、稲尾和久ら)を支えました。
その後時を経て1988年に南海ホークスがダイエーに譲渡されたことを受け、ホークスは本拠地を福岡に移転。
平和台球場が本拠地に選ばれ、10年ぶりにプロ野球の本拠地球場となりました。
最後のプロ野球公式戦は1992年10月の福岡ダイエーホークス戦(門田博光選手の引退試合)で、その後はホークスの福岡ドーム(現PayPayドーム)への移転をもって役目を終えました。
1997年、外野席下から鴻臚館遺跡が発見されたことを機に球場は閉鎖され、跡地は「福岡城跡・鴻臚館跡」として歴史公園化されています。
また、試合中に日没をめぐる「平和台事件」など、プロ野球初期だからこそのエピソードに溢れた球場です。
- 1956年(昭和31年)9月19日、平和台球場で行われた西鉄ライオンズ対南海ホークス戦で発生。
- 当時、球場にはナイター照明がなく、日没により視界が悪化した中で試合続行が問題となった。
- 審判が「試合続行」を判断したことで、南海の監督・鶴岡一人らが強く抗議し、試合が一時中断。
- 抗議の末、南海側がベンチを引き上げ「没収試合」となり、西鉄の勝利が宣告された。
- この騒動は「平和台事件」として知られ、以後プロ野球におけるナイター設備整備や審判判断の在り方に影響を与えた。
平和台球場の跡地を散策してみた!
現在、平和台球場は解体されており、建物としては残っていません。
跡地は「鴻臚館広場」や「舞鶴公園」として整備されており、ひっそりと記念碑も残っていますのでその様子を紹介します。
最寄り駅 | 地下鉄空港線「赤坂駅」から徒歩約10分 |
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駐車場 | あり(舞鶴公園駐車場を利用) |
記念碑の様子
記念碑の様子はこんな感じです。
これだけといえばこれだけなのですが、平和台球場の解体前の様子が石碑として残されています。

左右には解説文と歴史年表が並んでいます。


モニュメントは舞鶴公園の入口のすぐそばにひっそりと佇んでいます。
歩道にも面しているので、見落とすことはないでしょう。

周辺の様子
舞鶴公園のは現在は平和台球場のスタンドや外壁は一切残されていませんが、福岡城の本丸址を中心とする公園として整備されており、散歩していて楽しい空間でした。


ちなみに舞鶴公園のお濠にはハスがびっしり。

雨上がりの早朝だったこともあり、ハスの様子だけでも美しく満足できる景色でした(野球は全然関係ないですが笑)

なお、舞鶴公園の周辺にはこんな感じの記念樹も見つかりました。
「ライオンズ」とあったので西鉄ライオンズと関係あるのかな?と思って調べましたが、無関係でした(笑)



平和台球場 まとめ
平和台球場の跡地は目玉となるみどころはありませんが、野球の歴史を感じられる素敵なスポットでした。
ホークス戦のついでに立ち寄りやすいエリアですので、ぜひ立ち寄ってみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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