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【閉鎖済】芝浦球場とは?プロ野球チーム発祥の地を散策してみた【野球の聖地】

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芝浦球場記念碑

「日本初のプロ野球球団の本拠地は?」という問いにすぐに答えられる人は何人いるでしょうか。

当記事では、プロ野球チーム発祥の地であり「幻の球場」と呼ばれることもある芝浦球場についてまとめます。

マニアックなネタですが、ぜひ野球ウンチクとして誰かに披露してみてください。

跡地も散策してみたので、楽しんでもらえると嬉しいです。

目次

芝浦球場とは?

まずは芝浦球場について簡単にまとめます。

芝浦球場は大正時代の球場ということもあり、資料が限られている球場です。

記念碑やNPB公式サイトの情報をもとにまとめていますが、諸説あることはご理解ください。

基本情報

名称芝浦球場(しばうらきゅうじょう)
所在地東京府東京市芝区芝浦町一丁目(現・東京都港区海岸三丁目・埠頭公園付近)
開場1921年(大正10年)3月
閉場1924年(大正13年)頃
※関東大震災後の接収により野球場として使用不能に
建設・運営日本運動協会(通称:芝浦球協会)
主な用途日本運動協会の本拠地
大学・OBクラブの試合開催
収容人数約20,000人(木造スタンド約6,000席+外野立見席)
グラウンド規模両翼約90m/中堅約120m(推定)
付帯施設(当時)テニスコート6面、クラブハウス(浴室・集会所・食堂)
特徴日本初のプロ野球チームの本拠地

参考:NPB公式サイト

歴史

芝浦球場跡地の記念碑の情報をもとに、芝浦球場の歴史についてまとめてみます。

1921年(大正10年)3月
  • 日本運動協会(芝浦球協会)の本拠地として、芝浦球場が建設される
  • 「職業野球」を日本で初めて試みるチームの本拠地としてスタート
1921年〜1922年前半(大正10〜11年)
  • 日本運動協会は結成から約1年間、公式試合を行わず
  • 芝浦球場では主に大学OBチームの試合が開催
    — 稲門倶楽部(早稲田OB)
    — 三田倶楽部(慶應OB)
1923年(大正12年)9月
  • 関東大震災が発生
  • 芝浦球場は戒厳司令部に接収され、救援物資の集積場として徴発
  • この接収により、野球場としての再利用が不可能になる
1924年(大正13年)
  • 日本運動協会が解散
  • 本拠地を失ったことで球場としての役割を終える
  • 芝浦球場もその後閉鎖される

芝浦球場は、わずか数年しか存在しなかったにもかかわらず、日本プロ野球の原点と言えるほど重要な球場です。

  • 日本初のプロ野球球団の本拠地
  • 日本初のプロ同士の対戦の舞台
  • 戦前の野球文化を支えた専用球場
  • 今のNPB球団につながる「源流」

として、大きな歴史的価値を持っています。

現存する日本最古のプロ野球球団「読売ジャイアンツ」の前身は「大日本東京野球倶楽部」です。
大日本東京野球倶楽部は日本で4番目に設立されたプロ野球球団で、これが現在のNPBのはじまりであると考えられます

芝浦球場の跡地を散策してみた

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